| ▼家から歩いて5分の岸壁に、彼らの船は停泊していた。彼らは、はるばるロシアからやってきた――。▼7月のある日の夕暮れ、岸壁でカタクチイワシを釣っていると、停泊中のロシアの船の乗組員が数人、僕の周りに集まってきた。僕が調子よくイワシを釣り上げているのを見て、彼らも船から釣り竿を持ってきて釣りを始めた。僕は、彼らが釣り糸を垂らした場所に撒き餌を撒く。彼らは片言の日本語で「どうもありがとう」と言った。彼らは釣った魚を全部、僕のバケツに入れてくれた。▼翌日の夕暮れも同じ岸壁でイワシを釣った。やはり僕の周りに1人、2人…と船乗りが集まってくる。僕の顔を覚えていてくれたらしく、みんな右手を上げて挨拶してくる。僕も同じ方法で挨拶する。釣りをしている彼らは陽気だ。6本針の仕掛けに3尾のイワシが掛かると「スリー」と叫んで僕に自慢する。こうなると僕も負けられない。「ファイブ」という僕の声に、周囲から歓声が上がった。彼らとは言葉が通じないが、こんなに楽しい釣りをしたのは初めてだ。気づけばなぜか僕は彼らから、「ミスター」と呼ばれていた。▼その翌日は家でのんびり晩酌をしていた。妻が、「今日は行かなくていいの?」と聞く。僕がよほど楽しそうに彼らの話をしたからだろう。妻の言葉で彼らのことがちょっと気になって、岸壁まで散歩した。彼らは船のデッキで宴会をしていた。もちろん邪魔をする気はない。「いつもこうやって過ごしているのか…」。そう思いながら帰ろうとすると、買い物から帰ってきた乗組員が僕の姿を見つけた。「いいから遠慮するなよ」おそらくそんなことを言って、その乗組員は僕を船の中へと招き入れてくれた。▼船内ではウイスキーと彼らの手料理をいただいた。数人が、財布から家族の写真を出して見せてくれた。1人、片言の英会話ができる男がいて通訳のような役目をしてくれた。彼らの祖国はロシアで、船は貨物船。函館を経った後は稚内方面に向かうということを知った。家族と離れ、遠い異国の地にやって来て、船の中で寝泊まりする毎日は辛いことも多いはず。しかし彼らはいつも陽気に笑っていた。僕は彼らから、たくさんの元気をもらった――。▼数日後、岸壁に足を運んでみると、すでに彼らの船はなかった。「またどこかの港で雑魚を釣ってはしゃいでいるのかな?」と想像したら、少しだけ目頭が熱くなった。僕は彼らと過ごした夏をずっと忘れないだろう。▼急にがらんとした岸壁。そこから眺める水平線の向こうの山に夕陽が沈む。夕凪の海で小魚の群れが跳ねた。(慎) |